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どのようにして最初に音楽に触れましたか? 音楽を始めたきっかけは何ですか?

 明確には覚えていませんが、BeatlesのYesterdayを聞いた時に曲を選んで音楽を流すということを始めた記憶があります。それからBeatlesのコピーバンドをやるようになって、Eddie Cochranとかのレコードを聞くようになって古いロカビリーをよく演奏していました。コード進行が簡単だったから、技術よりも音楽自体に集中して演奏出来ることも魅力の一つでした。

 その後大学受験の浪人時代に新聞奨学生をしていたのですが、そこにジャズの専門家がいて、いろいろ教えてもらった中に阿部薫がいました。実はその人は「阿部薫覚書」という本も出していた専門家で、彼のLast DateというEric Dolphyのアルバムと同タイトルのアルバムを最初に聞いた時に初めて音楽でトリップをした時のことをまだ鮮明に覚えています。僕のそれまでの音楽の概念を変えました。そこから音楽における旋律よりも音の間と、音そのものを大切にするようになりました。大学ではアルトサックスでジャズを少しやっていましたが、楽譜がつまらなくなって即興演奏ばかりをするようになりました。

 

日本のアンビエントミュージックは、ほとんど再現不可能な点で特別であると考えられています。あなたはどうお考えになりますか?

 僕はブラジルで生まれて、精神形成に重要と言われている最初の3年はブラジルにいたので少し典型的な日本人ではないと思いますが、アンビエントと日本の関係というのは確かに特殊なものがあると思っています。

 まず、Eric SatieやJohn Cage, Brian Enoといった人々が東洋思想、特に禅の思想に影響を受けていることからも分かるように、アンビエントと東洋思想の関係は非常に強いということ。そして、アンビエント・ミュージックは欧米文化の中から生まれ、日本に逆輸入されたということはとても大きな意味を持っています。

 東洋思想とアンビエントの関係だけであれば、日本よりも中国やインドの方が東洋思想は根付いているので、日本は劣るでしょう。ところが、日本の僕らの年代は文化的に西洋と東洋の中間に位置しています。アンビエント・ミュージックは西洋文化の中で発展した東洋思想であり、そういった意味では日本で発達しやすい背景があったのではないかと思います。

 また日本人の脳は言語的な背景(全ての子音の後に必ず母音を伴うこと、仮名と漢字があることなど)から、音に関する認識部位が西洋人と異なることが科学的に分かっています。通常、左脳は理性、右脳は感性ですが、日本人とポリネシアの一部の民族だけは左脳で理性と感性を扱うハイブリッドな脳を持っていて、特に自然の音には母音の成分が含まれているため、日本人はそれを左脳で感じ、単なる音としてではなく、理性とつなげて考えるという特性があります。

 そういった構造のせいか、日本にはニーチェにしても、メルロ=ポンティ、マルクスにしても「誰でも分かる○○」というような入門書が無数にあり、これは欧米では見られないことだと聞いています。このように日本人はどんなものでも分け隔てなく、良いものをみんなと共有したいと思う性質があって、そういうことも、音楽に興味のない人も含めてその場にいる全ての人の背景にあれるアンビエント・ミュージックという音楽の「在り方」自体も、シャイで協調的な日本人の性質に合っているのではないでしょうか。

 このことは医学においても同じで、今世界中で最も西洋医学と東洋医学が平行して発展しうる国は日本以外にはありません。不思議なことはドイツという国と日本の関係はとても似ていて、音楽もそうですし、医学においても欧米で一番東洋医学が発達しているのはドイツだと聞いています。

あなたは東京に住んでいますが、それがあなたの創造の仕方にどのような影響を与えていると思いますか? 急にヨーロッパに引っ越した場合、あなたの音楽はどのように聞こえると思いますか?

 東京にいると、世界中のどこの国の料理でも食べられるし、今は減りましたがCD屋もレコード屋も世界一多かった場所でした。これは良い面もありますが、逆に場所が多すぎて、コミュニティが発達しないという面もあります。音楽家にしても、お互いに知ってはいるけど滅多に会わないという関係がたくさんあるので、もう少し特定の場所が限られていて、コミュニティーが形成されやすい状況があれば発展の仕方も違うのではないかとよく思います。

 住む場所としての東京は、狭くて密集している割に、近所付き合いというものがほとんどなく、音楽や教育にとってはあまり良くない場所だと僕は思っています。あと数年したら東京から1時間ぐらいの実家に家族で引っ越します。ただ、東京は街の入れ替わりが激しいので、その変化を楽しめれば良いところかもしれませんが、アンビエントを制作するには少し慌ただしいです。

 ヨーロッパに一時的に住むことは、大好きな憧れの場所ですから、まだ一つの夢としてはありますが、今一番住んでみたい国は南インドです。世界三大医学の一つアーユルヴェーダ医学を学びたいからです。医学にしても音楽にしてもヨーロッパに住んだところで、あまり新しい刺激的な体験がないんじゃないかなとも思っています。既存の音楽を深めて行くには良いかもしれません。

 

日本から音楽をリリースした経験は? 地理的/言語的な障壁のために、気づかれたり聞いたりするのが難しいと思いますか?

 リリースを始めた最初のレーベルは日本のspekk (Opitopeの1stアルバム “Hau”と2ndの”Physis”)とflyrec(Solo “Human Being”)でした。2000年頃から始めたOpitope(w/Chihei Hatakeyama)の音源は、当初海外のレーベルに50社ぐらい送りましたが、返信があったのはspekkだけでした。spekkのオーナーのNao Sugimoto(a.k.a mondii)はその頃12KのTaylorDeupreeと仲が良く、レーベル自体も海外からの評価が高く、レビューも海外紙ばかりでした。

 実際にその頃のOpitopeのアルバムを聴いて連絡を取ってきてくれたのが、今も一緒に音楽をしているCoreyFuller(ILLUHA)やFedericoDurand(Melodia), Celerでした。当時、彼らはセルフリリースぐらいしかしていない無名のミュージシャンでしたが、今じゃだいぶ有名人になってしまいました。不思議なことに、その当時、連絡を取ってくる人はそんなに多くなかったのに、その当時に友達になった友人とは、まだ制作を続けています。そうした音楽によって国を超えたつながりは、予想外に強いものです。

 20歳ぐらいまで歌を歌っていた時は常に歌詞を何語にするか迷ってたけど、リリースに関しては特に国籍は感じていません。海外の音楽友達と母国語で会話できないのは少し残念なところがありますが、その反面、MelodiaをやっているアルゼンチンのFedrico Durandとは、生まれた場所も年も近いのに、会話はお互いの母国語でないということが、音楽においても良い方向で影響していることを感じました。HomeNormalから12月25日に出るアルバム”Small melodies”は、僕も彼も普段はギターを弾かないのに、二人だとギターを弾きました。下手くそで恐縮ですが、最初の曲は3年ぶりぐらいにギターを持って、何の打ち合わせもなくたまたま野外で弾いた一発録音だったので、下手とかうまいとか、そういう技術とは全く別の音楽的なものがあの瞬間の中には入っています。最初はいろいろエフェクトをかけた曲を作ったのですが、最終的に録音したままのものをリリースしました。そういった技術を気にしないで音楽を共有できるというのは、お互いに母国語でない言葉で文法とかを全くきにしないコミュニケーションをしていたから音楽の中でも
方法論から解放されて音楽を音楽らしく楽しめたのだと思っています。これは面白い体験でした。だから、音楽は言語を超えたものであることに、僕は喜びを覚えています。特にアンビエントは言語もないし、地理的な特性はあっても隔たりはないと感じています。


アンビエントミュージックはしばしば自然と関係があります。 自然との個人的な関係は何ですか?

 これは僕にとって生涯に渡るテーマです。もうすぐ、身体と精神と音楽について西洋医学・東洋医学・アンビエントミュージックという視点から書いた本(『からだとこころの環境』eleking-books)を出しますが、その本の中で一貫していることは、「自然への畏敬の念」を取り戻そうということです。アンビエントだけでなく、芸術という概念は産業革命の頃に工業化に拮抗する形で発生しました。工業化は生産物の均質化を促進し、生物として最も重要な「種の多様性」を阻害していきます。芸術家たちはその危険性を本能的に感じ、作品にしてきたと思います。
 人間には自然の力(Physis)によって生じたものを「加工する」能力はあっても、「生成する」力はありません。音楽もPhysisによって生じた音を「加工する」力はあっても、「生じさせる」力はありません。これはデジタルとアナログの関係であり、デジタル技術はアナログを模倣して発展したものではありますが、アナログの音とデジタルの音にはまだまだ差があります。同じことが自然を利用した東洋医学と科学の力を利用した西洋医学にも言えます。西洋医学は痛みや不眠を消すような「対症療法」はできても、その根本治療は出来ません。元気や食欲といったエネルギーを生じさせるには自然の力を利用することが不可欠です。現代病の多くは自然のリズムとのズレから生じています。ですからその治療には自然のリズムを人間に取り戻す医療や芸術が必要になってくるのです。そうは言っても、症状はつらいものですから、西洋医学の対症療法を適切に使うことも重要です。眠れないでいるよりは睡眠薬を使ってでも眠ることの方が健康にとって良いこともあります。大切なことは双方の医学を適切に用いることで、音楽においても医療においても「生じさせる」力と「加工する」力を適切に併用することが、僕
の医療と音楽において大切にしていることです。

 私たちが今直面している問題は、そういった文明を利用することの規模を考え直して行くということです。自然を顧みない行き過ぎた文明がもたらす悲劇を私たち日本人は2011年3月11日に体験しました。こういった社会の是正は国などの上部構造を変えようとしてもそれは実現しません。医療における患者さんの認識を変えることや、音楽を通して、僕は社会に対してメッセージを発信しています。
 近年アンビエント・ミュージックの需要が高まって来たことは、その音楽が自然と関係しているというよりは、工業的な騒音に包まれた私たちの日常生活の中でそれを打ち消すような音楽が必要になったために、生活の背後で常に流しておけるアンビエント・ミュージックが今必要とされて来ているのだと僕は考えています。


あなたの音楽でその卓越した落ち着きをどのように達成しますか? 作曲に役立つ儀式や方法はありますか?


 古代インドの思想家たちは、あらゆる感情の中で最も大切なものは「落ち着き」であるということを言っていました。私たちの快楽や苦悩もこの「落ち着き」によって正しい選択が行われて行きます。「落ち着き」は様々な怒りを鎮めます。音楽において僕が大切にしていることは「準備」です。自宅のスタジオで録音する時には、いつも演奏前に3時間の準備をするように心がけています。音づくりから演奏方法の練習といった時間で、昨年はそれを出来る限り毎日やって100回録音するということをやりました。ただ
、それは予想通り音源にはできませんでしたが。。。
 瞑想もよくやります。ライブ演奏の時は演奏を始める前に30秒程度の静寂を作ってから始めるようにしています。あと、共演する時は、演奏前に同じ漢方薬をみんなで飲みます。それによって身体的にも共演者とリズムが同期するからです。

 

どのようにしてピアノスタイルにたどり着きましたか? サウンドとパフォーマンスの両方において、他の誰ともまったく異なります。 この楽器にインスピレーションを与えたのは誰ですか?

 音楽を演奏する時に僕が心がけていることは、舞い降りてくるインスピレーションをそのまま何も考えずに音に変換することです。僕は演奏をしている時、音楽に降りてくる霊性の器として「ただある」ことを心がけています。そのために最善の準備を尽くしてます。ピアノは僕にとって自分の感情が最も反映しやすい楽器です。高校生の頃、John LennonのImagineを弾くために、一時的に楽譜を学んで4、5年は楽譜が読めましたが、今はドの音がどこなのかも分からないほど、全く楽譜が読めなくなってしまいました。楽譜を読める人のピアノと、読めない人のピアノには明らかな差があり、どち
らが素晴らしいとは思いませんが、僕は読めない人のピアノでも良いと思っています。どちらにもそれなりの美しさを表現できる可能性が秘められています。影響を与えたピアニストと言えばEricSatieはもちろんですが、ピアニズムを否定したGlennGouldの存在も大きいと思います。彼の音は感情と直結しています。

 

あなたは医学を学び、最近最初のアンビエント・オリエンタル・メディカルクリニックを開設しました。 これは、従来の漢方医院とどのように異なり、潜在的な患者としてあなたを訪問する場合、私たちは何を期待できますか?


 アンビエントというのは、音楽もありますが、分け隔てなくフレキシブルに代替医療も含めた医療や、養生法を選択していこうというのが、僕の診療所のコンセプトです。

 主に対症療法である西洋医学と、根本治療である東洋医学を併用しています。処方する薬の割合は1:9で漢方薬の方が多いです。この比率が現代における医療の適切なバランスだと考えていて、その比率は双方の医学の歴史の長さに比例します。東洋医学は4000年前から始まり、西洋医学は400年前から始まりました。

 また、食事や生活環境(音や光・香)の提案も行っています。現在の日本の病院では、規模や経済的時間的な問題のため、医療以外の要素に対して配慮して実現することは難しい現状があります。僕の病院はおそらく日本で一番小さい診療所ですが、その規模と患者さんへの診察時間の確保を一定以上削らないようにすることで、診察の質を維持することを心がけています。また、受付のスタッフは、みな音楽好きなアーティストの友人が集まってくれています。だから音楽は、彼らがDisk Jockeyをしながら、アンビエントな
音楽リストと雰囲気を作り出してくれています。日本一小さな診療所ですが、音響システム(小松音響研究所の真空管アンプTannoyのStirlingTWとSonihouseのスピーカー)は、素晴らしいと思っています。建物との巡り合わせにも感謝しています。

 診察室は2畳半(9㎡程度)という狭さで、これは千利休という茶人が茶室に革命を起こした時の広さと同じです。僕は茶道をするわけでもないですが、その思想には強く影響を受けていて、「露草(つゆくさ)医院」という名前は茶道の哲学用語である「露地草庵」に由来しています。細長い露地のような待合室の先に、にじり口のある診察室があります。

 診療科目は内科・精神科・アレルギー科・皮膚科などで、直面しているつらい症状を西洋医学や認知行動療法で取りながら、根本治療を東洋医学と食事・環境改善と共に行って行きます。ほとんどの方が西洋薬を必要としなくなります。

 

ここ数年のあなたの作品は、Between(Corey Fuller、Marcus Fischer、Simon Scott、Taylor Deupree)、Illuha(Corey Fuller)、Melodía(Federico Durand)、Opitope(畠山地平)のグループでの作品ばかりですね。 コラボレーションについて、ソロ作品よりもはるかに多くの努力を払うほど魅力的だと思うのは何ですか?


 Toshimaru Nakamura + KenIkeda(from Baskaru 2014 )とのコラボもありますよ!笑

 確かに作品としてはコラボレーションをたくさん出していますが、音楽を作っている時間はソロの方が圧倒的に長いです。ただ僕は優柔不断なのでなかなか自分の作品を完成出来ないのです。コラボレーションは、録音できる時間も限られていますし、録音したもので完成させなければならないというタイムリミットのようなものがあります。ソロではまだ良くなる、まだ良くなると思って作っているうちに新しい録音がしたくなってしまうのです。だから、コラボレーションの10倍以上はある膨大な録音がありますが、何かタイムリミットがなければソロ作品は出せないのです。1枚目のアルバムは
、7年間かけて作りました。2枚目の作品は娘の誕生までに作らなきゃという目標があったので出来ましたが、結局リリースするまでにはそれから1年かかってしまいました。

 今年の9月30日に二人目の娘を授かって、その音楽をこの1年間ずっと作っていて家では妻と娘には聴かせています。それはピアノやシンセサイザー(SequencialCircuitTrak-SixとYamaha DX-7)で作っていますが、エフェクトもラップトップも使っていないものです。来年の娘の誕生日までにリリース出来ればと思っています。

 コラボレーションとソロは、作品をつくる動機がそもそも違いますよね。やっぱり、コラボレーションは一期一会ということを意識しているのと、言語を超えたコミュニケーションなので、作品ができた後にコミュニケーションが生まれるソロ作品とは、性質が違います。ソロ作品は本を書くのと似ていて、コラボレーションは対話するラジオを収録する感じですね。どちらが好きかと言えば、後者のほうが好きだとは思います。


コラボレーションしたいのに、どういうわけかそれが起こらなかった人はいますか?

 僕は90年代からStephan Mathieuの大ファンで、神様だと思い続けて来ました。Federico DurandもStephanの大ファンで、二人でヨーロッパをツアーした時に、彼に突然メールをしたんです。「僕らは日本とアルゼンチンからヨーロッパに来ていて、もし可能だったら是非あなたの家に伺わせてくれないか」と。それで彼の家に泊めてもらいました。彼の家に着くなり、グラモフォンで彼のコレクションを聴かせてくれて、料理を食べさせてもらって、みんなでDJして、、、と、生涯最高の一日でした。その縁があって日本に彼を招待してツアーをしました。複数の人数での彼とのセッションは何度かやりましたが、まだ僕は彼とのデュオをやっていません。あまりに畏れ多くてまだお願い出来ていないのです。彼は音楽だけでなく、人格も本当に神様のような人でした。どんなに忙しく、疲れていても感情を乱すことなくいつも紳士なのです。僕がもう少し成長したら、いつか彼とデュオで作品を作らせてもらえたらと思っています。

 

最近は何に取り組んでいますか? 音楽的にあなたの将来の計画は何ですか?

 今は二番目の娘のアルバムの作成と、診療所で流す音楽の作成をしています。僕の診療所の待合室には2系統のオーディオシステムがあり、全く違う音楽をランダムに流すことで、その組み合わせが常に変化し、その時その場でしか聴けない音楽がそこにある。という状況を作ろうとしています。今は1系統からアンビエント・ミュージックを、もう1系統からフィールドレコーディングを流していますが、それをよりミニマルなものにして、双方をアンビエント・ミュージックにする方法を考えながら作曲をしています。診察室内にもオーディオシステムがあるので、その3系統がハーモニーを作る可能性のある個々の音源を今作っています。

 リリースは今年4月のStephan Mathieu, Taylor Deupree, Federico Durandの来日時の音源がデジタルリリースされます。 https://kualauktable.limitedrun.com/  
12月25日Melodiaの2ndがイギリスのHomeNormalから。 https://homenormal.bandcamp.com/album/diario-de-viaje

 2011年の1月に坂本龍一さんとTaylor Deupree、それとILLUHAという4人での演奏がニューヨークの12kより発売予定です。8月に日本のFtarriより中村としまるさんとケン・イケダさんとのトリオの2枚目が完成しています。Federico Durand + Opitopeもありますし、Melodiaの3枚目も録音は終っています。あとAsuna + Opitopeももう少しで完成します。なんとかソロの3枚目も9月30日までには出したいです。どれも、録音からリリースまで、平均2、3年はかかってしまいますね。。。


最近、最も印象的なアンビエントアーティストは誰だと思いますか? あなたがそれらを好きな理由を説明してください。


 例えば、Stephan Mathieuは素晴らしい音楽を作り続けていますが、彼はアンビエント・ミュージシャンではないと僕は思っています。彼自身に聞いたところ、彼も自分はアンビエント・ミュージシャンではないと言っていました。多くのドローン・ミュージックはアンビエントではありません。Celerの作品のいくつかはアンビエントだと思いますが、アンビエントの定義はとても多様化していますね。僕の中でのアンビエント・ミュージックの定義は、鈴木大拙のいう「妨害なき相互浸透」だと思っています。この言葉は
ジョン・ケージが影響を受けたとして有名です。簡単に言えば、呼吸のようなもので、意識を向ければそこに深みや美しさがあるけど、意識をしなければ気にならない。つまり、音楽家の主義主張を押し付けない。妨害しない。だけど、音楽があることによって、お互いに浸透しあっている。流すことで静寂が訪れる音楽だと考えています。

 Federico Durandはアンビエント・ミュージシャンでしょう。彼の音楽は今も昔も好きで、特にspekkから出ている2枚は素晴らしい。でもMelodiaはアンビエントではありません。普通は友達の音楽って、よく知り過ぎているからあんまり聴きたいとは思わないのですが、彼の音楽はこれだけ仲が良くなってもしょっちゅう聴けるのです。それは彼の音楽が本当の意味でのアンビエント・ミュージックであるからなのではないかと思っています。人間的な人柄もそうなのですが、彼は非常にアンビエントな人です。
 Susanna and Magical Orchestraは2、3年前に知ったのですが、とてもよく聴いていて、僕の診療所でもよく聴いています。あれは上質なアンビエントですね。

 

アンビエントを使って作業したり聞いたりしていないときは、他にどのような種類の音楽が好きですか?

 最近はGlenn GouldとかToru Takemitsuをよく聴いています。Morton Feldman, Arvo Partなどの現代音楽が多いですかね。あと、家族と過ごしている時は歌ものが多いです。Mark Hollis、Chet Baker、Maria Callas、Edit Piaf 、Juana Molina、Stereo Lab、Joyceなんかですね。娘と踊る時はMouse on mars、Kraftwerkをよく流します。

 

あなたが選ぶ必要があるとしたら、あなたはあなたの好きなアルバムカバーとして何を選びますか?


 FedericoのWhite Paddy Mountainからの新作は久々に驚いたジャケットでした。尊敬するアンビエント・イラストレーターSatoshi Ogawaの作品です。Spekkの作品はどれも素晴らしいですね。あと、古いものだとAlvo PartのAlina。Toshimaru NakamuraのEgret。
 あと、手前味噌ですが、今度出る坂本龍一さんとのアルバムPerpeptualのジャケットも良いですよ。まだ現物は見ていませんが、Taylorはデザイナーとしても優れていると思います。アンビエント・ミュージシャンは写真も良い人が多いですね。

 

Sounds Of A Tired Cityのインタビューを誰に読んでもらいたいですか?

 特に誰というのはないけど、僕の診療所に通ってくれてる患者さんたちには、僕がどんな思いで音楽を続けているのかを知って欲しいという気持ちがあるから読んで欲しいかな。

 あとは、アンビエント・ミュージックをつくっている若い音楽家の人に、自然との関係を考えてほしいから読んで欲しいです。

 

Tired City Web Site

http://soundsofatiredcity.com/tomoyoshi-date-interview/?fbclid=IwAR1R2WAaHtfOkL6hXiyjLPZmS6I4YewO_9-Yc3jrxE33xGjzEJFllept99M

 

どのようにして最初に音楽に触れましたか? 音楽を始めたきっかけは何ですか?

 明確には覚えていませんが、BeatlesのYesterdayを聞いた時に曲を選んで音楽を流すということを始めた記憶があります。それからBeatlesのコピーバンドをやるようになって、Eddie Cochranとかのレコードを聞くようになって古いロカビリーをよく演奏していました。コード進行が簡単だったから、技術よりも音楽自体に集中して演奏出来ることも魅力の一つでした。

 その後大学受験の浪人時代に新聞奨学生をしていたのですが、そこにジャズの専門家がいて、いろいろ教えてもらった中に阿部薫がいました。実はその人は「阿部薫覚書」という本も出していた専門家で、彼のLast DateというEric Dolphyのアルバムと同タイトルのアルバムを最初に聞いた時に初めて音楽でトリップをした時のことをまだ鮮明に覚えています。僕のそれまでの音楽の概念を変えました。そこから音楽における旋律よりも音の間と、音そのものを大切にするようになりました。大学ではアルトサックスでジャズを少しやっていましたが、楽譜がつまらなくなって即興演奏ばかりをするようになりました。

 

日本のアンビエントミュージックは、ほとんど再現不可能な点で特別であると考えられています。あなたはどうお考えになりますか?

 僕はブラジルで生まれて、精神形成に重要と言われている最初の3年はブラジルにいたので少し典型的な日本人ではないと思いますが、アンビエントと日本の関係というのは確かに特殊なものがあると思っています。

 まず、Eric SatieやJohn Cage, Brian Enoといった人々が東洋思想、特に禅の思想に影響を受けていることからも分かるように、アンビエントと東洋思想の関係は非常に強いということ。そして、アンビエント・ミュージックは欧米文化の中から生まれ、日本に逆輸入されたということはとても大きな意味を持っています。

 東洋思想とアンビエントの関係だけであれば、日本よりも中国やインドの方が東洋思想は根付いているので、日本は劣るでしょう。ところが、日本の僕らの年代は文化的に西洋と東洋の中間に位置しています。アンビエント・ミュージックは西洋文化の中で発展した東洋思想であり、そういった意味では日本で発達しやすい背景があったのではないかと思います。

 また日本人の脳は言語的な背景(全ての子音の後に必ず母音を伴うこと、仮名と漢字があることなど)から、音に関する認識部位が西洋人と異なることが科学的に分かっています。通常、左脳は理性、右脳は感性ですが、日本人とポリネシアの一部の民族だけは左脳で理性と感性を扱うハイブリッドな脳を持っていて、特に自然の音には母音の成分が含まれているため、日本人はそれを左脳で感じ、単なる音としてではなく、理性とつなげて考えるという特性があります。

 そういった構造のせいか、日本にはニーチェにしても、メルロ=ポンティ、マルクスにしても「誰でも分かる○○」というような入門書が無数にあり、これは欧米では見られないことだと聞いています。このように日本人はどんなものでも分け隔てなく、良いものをみんなと共有したいと思う性質があって、そういうことも、音楽に興味のない人も含めてその場にいる全ての人の背景にあれるアンビエント・ミュージックという音楽の「在り方」自体も、シャイで協調的な日本人の性質に合っているのではないでしょうか。

 このことは医学においても同じで、今世界中で最も西洋医学と東洋医学が平行して発展しうる国は日本以外にはありません。不思議なことはドイツという国と日本の関係はとても似ていて、音楽もそうですし、医学においても欧米で一番東洋医学が発達しているのはドイツだと聞いています。

あなたは東京に住んでいますが、それがあなたの創造の仕方にどのような影響を与えていると思いますか? 急にヨーロッパに引っ越した場合、あなたの音楽はどのように聞こえると思いますか?

 東京にいると、世界中のどこの国の料理でも食べられるし、今は減りましたがCD屋もレコード屋も世界一多かった場所でした。これは良い面もありますが、逆に場所が多すぎて、コミュニティが発達しないという面もあります。音楽家にしても、お互いに知ってはいるけど滅多に会わないという関係がたくさんあるので、もう少し特定の場所が限られていて、コミュニティーが形成されやすい状況があれば発展の仕方も違うのではないかとよく思います。

 住む場所としての東京は、狭くて密集している割に、近所付き合いというものがほとんどなく、音楽や教育にとってはあまり良くない場所だと僕は思っています。あと数年したら東京から1時間ぐらいの実家に家族で引っ越します。ただ、東京は街の入れ替わりが激しいので、その変化を楽しめれば良いところかもしれませんが、アンビエントを制作するには少し慌ただしいです。

 ヨーロッパに一時的に住むことは、大好きな憧れの場所ですから、まだ一つの夢としてはありますが、今一番住んでみたい国は南インドです。世界三大医学の一つアーユルヴェーダ医学を学びたいからです。医学にしても音楽にしてもヨーロッパに住んだところで、あまり新しい刺激的な体験がないんじゃないかなとも思っています。既存の音楽を深めて行くには良いかもしれません。

 

日本から音楽をリリースした経験は? 地理的/言語的な障壁のために、気づかれたり聞いたりするのが難しいと思いますか?

 リリースを始めた最初のレーベルは日本のspekk (Opitopeの1stアルバム “Hau”と2ndの”Physis”)とflyrec(Solo “Human Being”)でした。2000年頃から始めたOpitope(w/Chihei Hatakeyama)の音源は、当初海外のレーベルに50社ぐらい送りましたが、返信があったのはspekkだけでした。spekkのオーナーのNao Sugimoto(a.k.a mondii)はその頃12KのTaylorDeupreeと仲が良く、レーベル自体も海外からの評価が高く、レビューも海外紙ばかりでした。

 実際にその頃のOpitopeのアルバムを聴いて連絡を取ってきてくれたのが、今も一緒に音楽をしているCoreyFuller(ILLUHA)やFedericoDurand(Melodia), Celerでした。当時、彼らはセルフリリースぐらいしかしていない無名のミュージシャンでしたが、今じゃだいぶ有名人になってしまいました。不思議なことに、その当時、連絡を取ってくる人はそんなに多くなかったのに、その当時に友達になった友人とは、まだ制作を続けています。そうした音楽によって国を超えたつながりは、予想外に強いものです。

 20歳ぐらいまで歌を歌っていた時は常に歌詞を何語にするか迷ってたけど、リリースに関しては特に国籍は感じていません。海外の音楽友達と母国語で会話できないのは少し残念なところがありますが、その反面、MelodiaをやっているアルゼンチンのFedrico Durandとは、生まれた場所も年も近いのに、会話はお互いの母国語でないということが、音楽においても良い方向で影響していることを感じました。HomeNormalから12月25日に出るアルバム”Small melodies”は、僕も彼も普段はギターを弾かないのに、二人だとギターを弾きました。下手くそで恐縮ですが、最初の曲は3年ぶりぐらいにギターを持って、何の打ち合わせもなくたまたま野外で弾いた一発録音だったので、下手とかうまいとか、そういう技術とは全く別の音楽的なものがあの瞬間の中には入っています。最初はいろいろエフェクトをかけた曲を作ったのですが、最終的に録音したままのものをリリースしました。そういった技術を気にしないで音楽を共有できるというのは、お互いに母国語でない言葉で文法とかを全くきにしないコミュニケーションをしていたから音楽の中でも
方法論から解放されて音楽を音楽らしく楽しめたのだと思っています。これは面白い体験でした。だから、音楽は言語を超えたものであることに、僕は喜びを覚えています。特にアンビエントは言語もないし、地理的な特性はあっても隔たりはないと感じています。


アンビエントミュージックはしばしば自然と関係があります。 自然との個人的な関係は何ですか?

 これは僕にとって生涯に渡るテーマです。もうすぐ、身体と精神と音楽について西洋医学・東洋医学・アンビエントミュージックという視点から書いた本(『からだとこころの環境』eleking-books)を出しますが、その本の中で一貫していることは、「自然への畏敬の念」を取り戻そうということです。アンビエントだけでなく、芸術という概念は産業革命の頃に工業化に拮抗する形で発生しました。工業化は生産物の均質化を促進し、生物として最も重要な「種の多様性」を阻害していきます。芸術家たちはその危険性を本能的に感じ、作品にしてきたと思います。
 人間には自然の力(Physis)によって生じたものを「加工する」能力はあっても、「生成する」力はありません。音楽もPhysisによって生じた音を「加工する」力はあっても、「生じさせる」力はありません。これはデジタルとアナログの関係であり、デジタル技術はアナログを模倣して発展したものではありますが、アナログの音とデジタルの音にはまだまだ差があります。同じことが自然を利用した東洋医学と科学の力を利用した西洋医学にも言えます。西洋医学は痛みや不眠を消すような「対症療法」はできても、その根本治療は出来ません。元気や食欲といったエネルギーを生じさせるには自然の力を利用することが不可欠です。現代病の多くは自然のリズムとのズレから生じています。ですからその治療には自然のリズムを人間に取り戻す医療や芸術が必要になってくるのです。そうは言っても、症状はつらいものですから、西洋医学の対症療法を適切に使うことも重要です。眠れないでいるよりは睡眠薬を使ってでも眠ることの方が健康にとって良いこともあります。大切なことは双方の医学を適切に用いることで、音楽においても医療においても「生じさせる」力と「加工する」力を適切に併用することが、僕
の医療と音楽において大切にしていることです。

 私たちが今直面している問題は、そういった文明を利用することの規模を考え直して行くということです。自然を顧みない行き過ぎた文明がもたらす悲劇を私たち日本人は2011年3月11日に体験しました。こういった社会の是正は国などの上部構造を変えようとしてもそれは実現しません。医療における患者さんの認識を変えることや、音楽を通して、僕は社会に対してメッセージを発信しています。
 近年アンビエント・ミュージックの需要が高まって来たことは、その音楽が自然と関係しているというよりは、工業的な騒音に包まれた私たちの日常生活の中でそれを打ち消すような音楽が必要になったために、生活の背後で常に流しておけるアンビエント・ミュージックが今必要とされて来ているのだと僕は考えています。


あなたの音楽でその卓越した落ち着きをどのように達成しますか? 作曲に役立つ儀式や方法はありますか?


 古代インドの思想家たちは、あらゆる感情の中で最も大切なものは「落ち着き」であるということを言っていました。私たちの快楽や苦悩もこの「落ち着き」によって正しい選択が行われて行きます。「落ち着き」は様々な怒りを鎮めます。音楽において僕が大切にしていることは「準備」です。自宅のスタジオで録音する時には、いつも演奏前に3時間の準備をするように心がけています。音づくりから演奏方法の練習といった時間で、昨年はそれを出来る限り毎日やって100回録音するということをやりました。ただ
、それは予想通り音源にはできませんでしたが。。。
 瞑想もよくやります。ライブ演奏の時は演奏を始める前に30秒程度の静寂を作ってから始めるようにしています。あと、共演する時は、演奏前に同じ漢方薬をみんなで飲みます。それによって身体的にも共演者とリズムが同期するからです。

 

どのようにしてピアノスタイルにたどり着きましたか? サウンドとパフォーマンスの両方において、他の誰ともまったく異なります。 この楽器にインスピレーションを与えたのは誰ですか?

 音楽を演奏する時に僕が心がけていることは、舞い降りてくるインスピレーションをそのまま何も考えずに音に変換することです。僕は演奏をしている時、音楽に降りてくる霊性の器として「ただある」ことを心がけています。そのために最善の準備を尽くしてます。ピアノは僕にとって自分の感情が最も反映しやすい楽器です。高校生の頃、John LennonのImagineを弾くために、一時的に楽譜を学んで4、5年は楽譜が読めましたが、今はドの音がどこなのかも分からないほど、全く楽譜が読めなくなってしまいました。楽譜を読める人のピアノと、読めない人のピアノには明らかな差があり、どち
らが素晴らしいとは思いませんが、僕は読めない人のピアノでも良いと思っています。どちらにもそれなりの美しさを表現できる可能性が秘められています。影響を与えたピアニストと言えばEricSatieはもちろんですが、ピアニズムを否定したGlennGouldの存在も大きいと思います。彼の音は感情と直結しています。

 

あなたは医学を学び、最近最初のアンビエント・オリエンタル・メディカルクリニックを開設しました。 これは、従来の漢方医院とどのように異なり、潜在的な患者としてあなたを訪問する場合、私たちは何を期待できますか?


 アンビエントというのは、音楽もありますが、分け隔てなくフレキシブルに代替医療も含めた医療や、養生法を選択していこうというのが、僕の診療所のコンセプトです。

 主に対症療法である西洋医学と、根本治療である東洋医学を併用しています。処方する薬の割合は1:9で漢方薬の方が多いです。この比率が現代における医療の適切なバランスだと考えていて、その比率は双方の医学の歴史の長さに比例します。東洋医学は4000年前から始まり、西洋医学は400年前から始まりました。

 また、食事や生活環境(音や光・香)の提案も行っています。現在の日本の病院では、規模や経済的時間的な問題のため、医療以外の要素に対して配慮して実現することは難しい現状があります。僕の病院はおそらく日本で一番小さい診療所ですが、その規模と患者さんへの診察時間の確保を一定以上削らないようにすることで、診察の質を維持することを心がけています。また、受付のスタッフは、みな音楽好きなアーティストの友人が集まってくれています。だから音楽は、彼らがDisk Jockeyをしながら、アンビエントな
音楽リストと雰囲気を作り出してくれています。日本一小さな診療所ですが、音響システム(小松音響研究所の真空管アンプTannoyのStirlingTWとSonihouseのスピーカー)は、素晴らしいと思っています。建物との巡り合わせにも感謝しています。

 診察室は2畳半(9㎡程度)という狭さで、これは千利休という茶人が茶室に革命を起こした時の広さと同じです。僕は茶道をするわけでもないですが、その思想には強く影響を受けていて、「露草(つゆくさ)医院」という名前は茶道の哲学用語である「露地草庵」に由来しています。細長い露地のような待合室の先に、にじり口のある診察室があります。

 診療科目は内科・精神科・アレルギー科・皮膚科などで、直面しているつらい症状を西洋医学や認知行動療法で取りながら、根本治療を東洋医学と食事・環境改善と共に行って行きます。ほとんどの方が西洋薬を必要としなくなります。

 

ここ数年のあなたの作品は、Between(Corey Fuller、Marcus Fischer、Simon Scott、Taylor Deupree)、Illuha(Corey Fuller)、Melodía(Federico Durand)、Opitope(畠山地平)のグループでの作品ばかりですね。 コラボレーションについて、ソロ作品よりもはるかに多くの努力を払うほど魅力的だと思うのは何ですか?


 Toshimaru Nakamura + KenIkeda(from Baskaru 2014 )とのコラボもありますよ!笑

 確かに作品としてはコラボレーションをたくさん出していますが、音楽を作っている時間はソロの方が圧倒的に長いです。ただ僕は優柔不断なのでなかなか自分の作品を完成出来ないのです。コラボレーションは、録音できる時間も限られていますし、録音したもので完成させなければならないというタイムリミットのようなものがあります。ソロではまだ良くなる、まだ良くなると思って作っているうちに新しい録音がしたくなってしまうのです。だから、コラボレーションの10倍以上はある膨大な録音がありますが、何かタイムリミットがなければソロ作品は出せないのです。1枚目のアルバムは
、7年間かけて作りました。2枚目の作品は娘の誕生までに作らなきゃという目標があったので出来ましたが、結局リリースするまでにはそれから1年かかってしまいました。

 今年の9月30日に二人目の娘を授かって、その音楽をこの1年間ずっと作っていて家では妻と娘には聴かせています。それはピアノやシンセサイザー(SequencialCircuitTrak-SixとYamaha DX-7)で作っていますが、エフェクトもラップトップも使っていないものです。来年の娘の誕生日までにリリース出来ればと思っています。

 コラボレーションとソロは、作品をつくる動機がそもそも違いますよね。やっぱり、コラボレーションは一期一会ということを意識しているのと、言語を超えたコミュニケーションなので、作品ができた後にコミュニケーションが生まれるソロ作品とは、性質が違います。ソロ作品は本を書くのと似ていて、コラボレーションは対話するラジオを収録する感じですね。どちらが好きかと言えば、後者のほうが好きだとは思います。


コラボレーションしたいのに、どういうわけかそれが起こらなかった人はいますか?

 僕は90年代からStephan Mathieuの大ファンで、神様だと思い続けて来ました。Federico DurandもStephanの大ファンで、二人でヨーロッパをツアーした時に、彼に突然メールをしたんです。「僕らは日本とアルゼンチンからヨーロッパに来ていて、もし可能だったら是非あなたの家に伺わせてくれないか」と。それで彼の家に泊めてもらいました。彼の家に着くなり、グラモフォンで彼のコレクションを聴かせてくれて、料理を食べさせてもらって、みんなでDJして、、、と、生涯最高の一日でした。その縁があって日本に彼を招待してツアーをしました。複数の人数での彼とのセッションは何度かやりましたが、まだ僕は彼とのデュオをやっていません。あまりに畏れ多くてまだお願い出来ていないのです。彼は音楽だけでなく、人格も本当に神様のような人でした。どんなに忙しく、疲れていても感情を乱すことなくいつも紳士なのです。僕がもう少し成長したら、いつか彼とデュオで作品を作らせてもらえたらと思っています。

 

最近は何に取り組んでいますか? 音楽的にあなたの将来の計画は何ですか?

 今は二番目の娘のアルバムの作成と、診療所で流す音楽の作成をしています。僕の診療所の待合室には2系統のオーディオシステムがあり、全く違う音楽をランダムに流すことで、その組み合わせが常に変化し、その時その場でしか聴けない音楽がそこにある。という状況を作ろうとしています。今は1系統からアンビエント・ミュージックを、もう1系統からフィールドレコーディングを流していますが、それをよりミニマルなものにして、双方をアンビエント・ミュージックにする方法を考えながら作曲をしています。診察室内にもオーディオシステムがあるので、その3系統がハーモニーを作る可能性のある個々の音源を今作っています。

 リリースは今年4月のStephan Mathieu, Taylor Deupree, Federico Durandの来日時の音源がデジタルリリースされます。 https://kualauktable.limitedrun.com/  
12月25日Melodiaの2ndがイギリスのHomeNormalから。 https://homenormal.bandcamp.com/album/diario-de-viaje

 2011年の1月に坂本龍一さんとTaylor Deupree、それとILLUHAという4人での演奏がニューヨークの12kより発売予定です。8月に日本のFtarriより中村としまるさんとケン・イケダさんとのトリオの2枚目が完成しています。Federico Durand + Opitopeもありますし、Melodiaの3枚目も録音は終っています。あとAsuna + Opitopeももう少しで完成します。なんとかソロの3枚目も9月30日までには出したいです。どれも、録音からリリースまで、平均2、3年はかかってしまいますね。。。


最近、最も印象的なアンビエントアーティストは誰だと思いますか? あなたがそれらを好きな理由を説明してください。


 例えば、Stephan Mathieuは素晴らしい音楽を作り続けていますが、彼はアンビエント・ミュージシャンではないと僕は思っています。彼自身に聞いたところ、彼も自分はアンビエント・ミュージシャンではないと言っていました。多くのドローン・ミュージックはアンビエントではありません。Celerの作品のいくつかはアンビエントだと思いますが、アンビエントの定義はとても多様化していますね。僕の中でのアンビエント・ミュージックの定義は、鈴木大拙のいう「妨害なき相互浸透」だと思っています。この言葉は
ジョン・ケージが影響を受けたとして有名です。簡単に言えば、呼吸のようなもので、意識を向ければそこに深みや美しさがあるけど、意識をしなければ気にならない。つまり、音楽家の主義主張を押し付けない。妨害しない。だけど、音楽があることによって、お互いに浸透しあっている。流すことで静寂が訪れる音楽だと考えています。

 Federico Durandはアンビエント・ミュージシャンでしょう。彼の音楽は今も昔も好きで、特にspekkから出ている2枚は素晴らしい。でもMelodiaはアンビエントではありません。普通は友達の音楽って、よく知り過ぎているからあんまり聴きたいとは思わないのですが、彼の音楽はこれだけ仲が良くなってもしょっちゅう聴けるのです。それは彼の音楽が本当の意味でのアンビエント・ミュージックであるからなのではないかと思っています。人間的な人柄もそうなのですが、彼は非常にアンビエントな人です。
 Susanna and Magical Orchestraは2、3年前に知ったのですが、とてもよく聴いていて、僕の診療所でもよく聴いています。あれは上質なアンビエントですね。

 

アンビエントを使って作業したり聞いたりしていないときは、他にどのような種類の音楽が好きですか?

 最近はGlenn GouldとかToru Takemitsuをよく聴いています。Morton Feldman, Arvo Partなどの現代音楽が多いですかね。あと、家族と過ごしている時は歌ものが多いです。Mark Hollis、Chet Baker、Maria Callas、Edit Piaf 、Juana Molina、Stereo Lab、Joyceなんかですね。娘と踊る時はMouse on mars、Kraftwerkをよく流します。

 

あなたが選ぶ必要があるとしたら、あなたはあなたの好きなアルバムカバーとして何を選びますか?


 FedericoのWhite Paddy Mountainからの新作は久々に驚いたジャケットでした。尊敬するアンビエント・イラストレーターSatoshi Ogawaの作品です。Spekkの作品はどれも素晴らしいですね。あと、古いものだとAlvo PartのAlina。Toshimaru NakamuraのEgret。
 あと、手前味噌ですが、今度出る坂本龍一さんとのアルバムPerpeptualのジャケットも良いですよ。まだ現物は見ていませんが、Taylorはデザイナーとしても優れていると思います。アンビエント・ミュージシャンは写真も良い人が多いですね。

 

Sounds Of A Tired Cityのインタビューを誰に読んでもらいたいですか?

 特に誰というのはないけど、僕の診療所に通ってくれてる患者さんたちには、僕がどんな思いで音楽を続けているのかを知って欲しいという気持ちがあるから読んで欲しいかな。

 あとは、アンビエント・ミュージックをつくっている若い音楽家の人に、自然との関係を考えてほしいから読んで欲しいです。

 

Tired City Web Site

http://soundsofatiredcity.com/tomoyoshi-date-interview/?fbclid=IwAR1R2WAaHtfOkL6hXiyjLPZmS6I4YewO_9-Yc3jrxE33xGjzEJFllept99M